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    かけはし2021年3月15日号

ファシストとしての実績明白


 

インド

極右から出現した首相の遍歴

ピエール・エルロー


極右民族運動
の活動が土台


 元「デャイ・ワリ」(お茶売り)で、グジャラートの中間カースト出身、小商店主の息子である現首相かつBJP(ブハラティア・ジャナタ党、インド人民党)指導者のナレンドラ・モディは、彼のつましい出身を強調することを好んでいる。それは、ほとんどが伝統的な高位カースト出であるインド極右のほとんどの指導者の出自とは対照的だ。
 モディは、彼の政治的台頭を、彼が1990年代中盤に加わったラシュトリヤ・サング(RSS、民族義勇団)に全面的に負っている。RSSは、1925年に創立された非常に古いヒンドゥ民族主義の運動だ。この運動の1メンバーが1948年にガンジーを暗殺した。それは、インド人に関するレイシズム的な観念、ヒンドゥトバを擁護している。すなわち、ヒンドゥ教徒だけが真のインド人である、とするものであり、党は、「完全で背の高い白い肌の」、そして「望ましいIQ」をもつ子どもを授かるよう助ける、と主張する学校と「医療」施設の両方を組織している。
 RSSはまた、その民兵で名高く、それはキリスト教徒、共産主義者、何よりもムスリムを暴力的に攻撃し、後者に対してはこれまで本物のポグロムを実行してきた。この運動のもっとも有名な暴動は、アヨディヤにおける1992年のバブリ・モスクの破壊だった。それは、モスクが古代のヒンドゥ寺院の場所……に1527年に建てられたとの口実の下に、ラマに寺院を建設する、ということを目的にしていた!

グジャラートの
大虐殺の指揮者


 モディは、非常事態の時期(1975―1977年)にRSS内で最初の肩書きを得た。それは、政府首班のインディラ・ガンジーが独裁的権力を行使し、RSSを含む多くの政治組織を非合法にした時期だった。モディが自らを組織者として彼の上官に証明できたのは、RSSの地下組織の中でのことだった。
 1980年、インド民族主義のさまざまな部分を代表する諸グループによって、BJPが創立された。この新党の目的は、国民会議派の権力に合法的に挑戦することだった。BJPはすぐさまRSSによって圧倒された。RSSは、この党にナレンドラ・モディを含む多数の基幹活動家を送り込んだのだ。その後モディは彼の経歴を、BJP内で1官僚として積み、1990年代を通じ辛抱強く階段を上った。2001年、内部的陰謀とグジャラートのBJP指導部内で起きた政治的スキャンダルの結果として、モディがグジャラートの首相を替えるために選ばれた。
 彼がグジャラートで権力の座に到達して僅か2、3ヵ月後の2002年2月27日、アヨディヤから帰郷中のヒンドゥ教徒巡礼団とムスリム地区住民との間で事件が勃発した。巡礼団を乗せていた列車が火災を起こし(これが故意のものだったのか事故だったのか、それは今日に至るまで分かっていない)、およそ50人の死者を出した。この劇的なできごとは即座にインド極右によって利用され、それは、グジャラートのムスリムに対し民兵を解き放った。
 その後の数ヵ月にわたって数を増した反ムスリムのポグロムの中で、2000人近くの人々が殺害された。10万人以上の人々が虐殺を逃れるために彼らの家から逃げなければならなかった。グジャラートの警察は、モディの命令の下に、それらのことを阻止するためには何もせず、真剣な捜査すべてを妨げた。
 そして十分な根拠に基づけば、権力の座にあった多くがこの虐殺の組織化に直接関わっていた。そこには、現連邦内務相でモディの最側近であるアミト・シャーも含まれている。その後の何年かモディを国際関係から外したこの虐殺は彼を、ヒンドゥ教徒住民内部では非常に人気を高くし、彼らは共同体間憎悪の年月によって興奮させられることになった(注1)。

政治的中央集権
全面的規制緩和


 2度再選されたモディは、グジャラートをインドのウルトラ自由主義のショーウィンドーにするために、地域の大資本家諸家族――しばしば、アムバニス、ビルラ、ゴドレジュといったインド最大の資産家に入る――と力を合わせた。汚染スキャンダルは数を増し、不平等は高まった。そしてこの州は、貧困や教育の欠落や栄養不足で、GDPがもっと小さい他の州からはるかに離された下位に置かれ続けた(注2)。
 2000年代半ば以来ずっと、モディは一層、多くのインド資本家と彼の名誉回復のために努力し続けていた政治家から、職のための人間と見られた。
 彼は2014年に首相になると、グジャラートの実験室で発展させた処方箋を適用した。彼の政策は主に2つの路線に基礎を置いていた。つまり、一方では、連邦化された州と自治権力の重みをできる限り弱めることによる政治的中央集権の強化であり、他方では、大きな民族グループと外国グループによる投資に向けた、その時まで相対的に保護されていた経済部門――たとえば農業市場――の広範な解放によって、および大々的な公共サービスの私有化によって、あらゆる犠牲を払って経済を規制緩和することだ。
 力づくの歩みで適用されたこのウルトラ自由主義政策は、たとえ当時現在起きている最中の抵抗の規模ではなかったとしても、特に農民からの多くの抵抗に遭遇した。農民たちは、モディによる大規模開発政策に必要とされた土地接収(ダム……建設を目的とした軍による部族地域の接収)に反対した。2016年には1800件以上の農民デモが起きた。2018年には、何世代にもわたって暮らしてきた土地に対する土地所有権を求めた200qにわたる行進に、地方の農民5万人が結集した(注3)

多数派懐柔し
選択的に攻撃


 モディは、抵抗に遭遇したとはいえ、彼の排外主義的で反ムスリムのレトリックや経済発展の約束に感化されやすい人口の相対的に大きな部分の支持を、何とか得ることができ、彼の2019年の再選を可能にした。彼にこの勝利をもたらしたものは2つある。1つは、地方政党、民族主義政党、さらにカースト政党からなる異質的な連合だ。それらの勢力の日和見主義についてはもはや明示の必要もない。そしてもう1つは、イデオロギーレベルで、ナレンドラ・モディがヒンドゥートバ潮流に関し一定の進展を具体化しているという事実だ。
 事実モディは、キリスト教徒やムスリムのマイノリティを激しく拒絶しながら、高位カーストの特権を頑固に擁護し続けている伝統的なヒンドゥー主義極右とは異なり、一定数の他の宗教的潮流(ジャイン、シーク、パルシ、仏教……)も含めて、アイデンティティを決定する唯一のものとしてのヒンドゥー主義に属する、と力説している。そして先のマイノリティ(人口の14・2%)は、モディ政権による繰り返される攻撃の標的になっている。
 たとえば彼らは、唯一のムスリム多数派州のカシミールで、2019年3月の軍による作戦の間、まれな暴力に対し軍による夜間外出令を発動し、数週間、外部世界に向けたあらゆる電話とインターネットの回線を遮断した。そして人口の残りの部分に対しては、彼は、カースト割り当てを通じた仕事と教育の取得、という見通しを約束しているが、あらゆる社会政策には反対している。

権力機関と民兵
使い大規模抑圧


 モディは今、州警察と軍機構、さらに彼の敵対者にテロ攻撃を使う用意がある活動家グループと極右民兵の両方を抱えている。
 政治活動家、知識人、さらに有名な人物たちが裁判、逮捕、さらには政治的殺人にもさらされている。たとえば、ジャーナリストのラナ・アッユブは、ヒンドゥートバ活動家による殺害とレイプを呼びかける、迫害キャンペーンの犠牲者になった。2017年、ヒンドゥー民族主義に対する批判者であったジャーナリストのガウリ・ランケシュは、彼女の自宅の外で射殺された。2020年には、67人のジャーナリストが逮捕されるか投獄されるかした(注4)。
 労働者階級、特にムスリム、部族民衆、またダリット(「アンタッチャブル」、カーストの外部にあるとみなされている諸個人)のようなもっとも差別された部分に関して言えば、彼らは、無差別的な暴力にさらされ、それは当局によって、奨励されてはいない場合でも隠蔽されている。警察によるほんの少しの犯人捜しさえないまま、ダリットの殺害は毎日あり、女性は性暴力にさらされている(毎週、21人のダリット女性がレイプされ、13人のダリットが殺害されている)(注5)。
 今日まで、パキスタンとの冷戦状態、および国内でのスケープゴート探しの中で、その民族主義政策がこうして容認されてきた。

支配階級には
対抗意志ゼロ


 インドブルジョアジーの支持はこれまで、反社会政策、および農業と工業における事業に向けた新しい将来の機会という約束、を基礎として獲得されてきた(注6)。国際的には、彼は近頃、トランプとの合意を公表した。今も彼は、カシミールで進行中の実戦で響く軍靴の騒音から遠く離れたタージ・マハールに招待を可能とするために、マクロンから十分な量の戦闘機を買い入れている。
 痛烈な非難や民族主義の暴力がどうあろうと、自身の企業に収益性がないと悟るような指導者は一人もいないように見える。ビル・ゲイツのような裕福な資金提供者から資金を受けているいくつかの人権団体やNGOは、極右政府とその指導者と提携して仕事をしている。インドの民衆は、モディとその一党を取り除くためには、自らの力を頼みにしなければならないだろう。(フランスNPA機関紙より英訳)
(注1)「ヒューマン・ライツ・ウォッチ2002」、「グジャラートの共同体間暴力に対する州の関与と共謀『あなた方を救う命令をわれわれは全く受けていない』」。
(注2)rediff.com2015年4月2日、「グジャラートの発展モデル:実質というよりも誇大宣伝」。
(注3)Ashok Dhawale,et al,The Kisa Long March in Maharashtra,LeftWard Books,New Delhi,2018.
(注4)「フリー・スピーチ・コレクティブ」のサイトで多くの事例を見つけることが可能。
(注5)出典は「ダリット人権全国キャンペーン」(NCDHR)
(注6)Arundhati Roy Capitarlism:A
Ghost Story,
Chicago:Haymarket
Books,2014,
(「インターナショナルビューポイント」21年2月号)



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